自分がなぜ勉強をしているのか、さっき何となくわかった気がする。
簡単に言うと憧れの人間と仲良くなりたいから、だと思う。
思えば、小学校中学校の時にゲームの事に詳しくなったのはゲームに詳しい友達と会話したかったからで、俺一人では辿り着かなかったしそもそも興味持ってなかっただろうなあと思った。
いや、もっと遡れば家族と会話したかったからじゃないかな、親が楽しそうにやってるゲームを自分もできれば普段相手にしてもらえない自分も相手にしてもらえるんじゃないか、とか考えてた気がする!!!
気持ち悪いね。
まあ、まあまあゲームで言えばそんな感じなんだけど、まああれも学習、勉強みたいなもんだよ。
ちゃんとした勉強、で言うなら公文式かな。
すごく算数が得意な友人がいてその彼が公文式をずっとやってるって聞いてなんか無性にやりたくなったんだかやる気になったんだか。
始まりは忘れちゃったけどやっぱり何となく憧れの友人に追いつきたかったんでしょうね、ゲームと同じように。
今、会社に所属しながら適当に関係ありそうな資格を取っているのも最初は妻でも家族でも社員でも認めてもらいたかったからなんだろうけど、数年働いてみた現在、この人達に認めてもらいたいなあと思う欲求もなくなってきて、何のために勉強し続けてるんだろうという負の気持ちに支配されつつあったんだけど
勉強してる別の目的として、人の考えてることを知るためっていうのがあって、読書でも資格の参考書でも何でも日本語に触れるっていう事は言葉に触れることだと思う。
何にもやってない人間に比べたらある種の貯金、知の蓄積をし続けてるのであって、数年前は会話していても知的レベルに何となく差を感じて上手く会話できてなかった人とも何となく会話できるようになった気がするしね。
何となく喋るのが苦手だったりするかってやり込められるのはムカつくからね。
まあ、何においても賢くなりたいよ。
そんな事を重要視するのであればだらだら携帯でSNS見てる暇なんてないんだよね。
かしこさん。